環境情報学部4年次生(社会人学生)の後藤朱実さんが卒業研究のためにカンボジアを訪問しました。その報告の第5回目です。
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そして、やがてバッタンバンから出発地であるプノンペンに向かう帰路の道すがら、国道沿いでは、稲刈りを終えた風景がいたるところで見られた。刈取りをした稲は雨の合間をぬって日なた干しをし、籾だけを脱穀しそれを家の前に引いたブルーシートの上で乾かしてる風景があちこちで見られた。それは懐かしい数十年前の日本の田園風景でもあった。きっと以前はブルーシートではなく、稲わらを編んで作ったむしろであったに違いない。
土壌に恵まれ、水の確保が出来るこの地域では、約三か月程で収穫できる品種が栽培されているという。このバッタンバンで採れるコメは品質が高く味も良く、収穫量が増えれば、国内販売や輸出用に回せるわけだ。ふと気が付くと、道中、ナンバープレートの違う車が走っていた。タイとの国境に近いため、ガソリンやその他多くの物流が運ばれてくると、ドライバーは話してくれた。また、運転しながら、時には今話題になっている世の中のニュースを、やや語気を強めながら、この国の政治情勢をからめながら、お国事情を話してくれた。そして、私は思い切ってクメール・ルージュ(ポルポト派)のことを聞いてみた。
祖父母が殺され、父親が非常に苦労して今のレンタカー会社を立ち上げたことなど、淡々と語ってくれた。話しながら彼自身がいろんな思いが込み上げているのを感じた。彼らにとって、決して終わったことではないのだと感じた。話してくれたくれたことにただただ感謝である。
この国に来てまず感じたのは、カンボジアの人たちの気さくさである。2泊したシェムリ・アップで宿泊した小さなホテルのホテルマンは、夜だけの勤務だったが、日本人だと知ると、今一生懸命に日本語を勉強してるからと、参考書を片手にいろいろ聞いてきた。彼の話す英語は堪能であったが、さらに日本語を覚えることで、仕事が有利になるということらしい。少しでも日本のことが知りたいという気持ちが強く、顔を見る度に積極的に話しかけてきた。会話が弾むうちに、父親がクメール・ルージュによって殺されたいうことを語り始めた。決して消し去ることの出来ない悲しい出来事を、後々に伝えていくということの大切さを痛感した。
ざっくばらんで気さくで、どんなときでも笑ってる国民性を感じたが、若者の願いは、頑張って勉強し、より多くの外国語をマスターする。そうすれば、観光関連の仕事につける。このように勉強すればよりよい仕事につけ、それで家族が食べていける。この国の人たちがまず一番に望むのは、家族が食べていけることなのだ。
今回、多くの人たちとの出会いを通し、私が特に感じたのは、誰もがこころの中に深い痛みを持ちながらも、前向きに生きることを積極的に選んでいる姿である。変えられない状況を受け入れながら、たくましく生きているその姿に感慨深いものを感じながら、今回の旅を終えることが出来た。
素晴らしい行動力ですね。カンボジアはこれから大きく発展する可能性を秘めた国、私も行ってみたいと思っていますが・・・今は時々、現地を映したテレビ番組などて見ているだけ、残念です。
高橋先生、こんにちは。
後藤です。
コメントをありがとうございます。
「百聞は一見にしかず」を実感しています。
また、今回事前に下調べを出来る限りしていくことの大切さも実感しました。
卒論これから頑張っていきたいと思います。
なにかとお世話になりますがよろしくお願いいたします。
カンボジアの悲劇は1970年代に起こっているので、今でもその苛酷さを自分自身の体験として覚えている人たち、あるいは家族・親戚が直接経験している人が多いですよね。当時の「政府」が没収した土地はもとの所有者に戻されたのでしょうか。所有者自身が死亡・殺害されているケースも多々あるんでしょうね。それに加えてアジア一体は(文化的なもので)政府の腐敗が大きいですから、国の貧困さとも相俟って、しっかりした修復は難しいと思いますが、いかがでしょうか。
Mariko様
後藤です。
度々のコメントをありがとうございます。
前回コメントを送信したつもりだったのですが、うまく反映されてなかったようです。
そうですね、当時を体験されていた方たちと出会い、そして生の声を聴かせてもらったこと、ほんとうに貴重なことだと思います。
その方たちの思いとともに、人々に伝えていくということはこれからもっと重要なことだと思います。
本日、カンボジアの象徴的な存在であった、シアヌーク元国王が亡くなられました。
時の流れなんでしょうか。
時代の流れは確実にやってきますが、
そこで生きる人の心が、時代の流れだけで消え去って行くことがないことを願います。
街中でまだまだ見かける貧困の人々、地雷によって不自由な身体となった人々、
経済的な発展とともに、彼らのような境遇の人たちが、置き去りにされないようにと強く願います。
出会った人たちの、笑顔の奥底に秘められた悲しみの心が、私にはとても重く感じました。